【画像あり】宮野真守の子役時代がかわいすぎる!天才エンタメ少年爆誕秘話

【画像あり】宮野真守の子役時代がかわいすぎる!天才エンタメ少年爆誕秘話(タイトル画像)

現在、声優界のトップスターとして活躍する宮野真守さん。

実は7歳から子役として芸能界入りし、数々の作品に出演していた経歴があります。

今回は、その愛らしい子役時代から、現在まで続くエンターテイナーとしての才能について詳しくご紹介します。

  • 宮野真守の子役時代
  • 宮野真守のエンターテイナーとしての才能

についてまとめてみます。

目次

【画像あり】宮野真守の子役時代がかわいすぎる!

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宮野真守さんの芸能界デビューは、1990年の7歳の時でした。

お兄さんが先に所属していた影響で、劇団ひまわりに入団し、子役としてのキャリアをスタートさせました。

初出演作品と幼少期の特徴

初仕事は小学校1年生の時に出演した西友のCM「西友大市」でした。

20名ほどの子供合唱団の中で、大きな口を開けて一生懸命歌う愛らしい姿が確認できます。

幼稚園時代から人前で表現することを好み、テレビが大好きだった宮野さん。

お遊戯会では他の子供たちとは一線を画す演技を見せていました。

忍者役では「忍者としてやらなくては」と手を使わずにでんぐり返しをし、猫役では舞台が終わるまで四つん這いで猫になりきって演じていたといいます。

代表的な子役時代の出演作品

代表作
  • 西友CM「西友大市」(1990年・小学1年生)- デビュー作
  • 特捜「エクシードラフト」(1992年・小学3年生)- テレビドラマ初出演
  • 舞台「スクルージ」(1994年・小学5年生)- ピーター・クラチット役で高評価
  • 「3年B組金八先生スペシャルIX」(1998年・中学2年生)- 足立勝司役
  • 「ニュースの女」(1998年・中学2年生)- 滝沢秀明の同級生役

こちらは西友のCM『西友大市』に出演していた時のものです。

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誰よりも楽しそうに目立つ姿は無邪気でとても可愛らしく、宮野真守さんそのものです。

こちらは特捜「エクシードラフト」8話に出演した時のものです。

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昔から顔芸は得意と本人も豪語している通り、しっかり表情まで役に入り込んでいる姿は役者とも言えるでしょう。

もし、今子役をやっていたら注目を浴びるくらいの才能はもっているのではないでしょうか。

特に小学5年生の時に出演した劇団ひまわりの本公演『スクルージ』のピーター・クラチット役では高く評価され、「役者人生において大きな転機になった」と本人が語るほど重要な作品となりました。

小・中学校時代は主にエキストラや小さな役が多く、テレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒役や『ニュースの女』で滝沢秀明が演じるキャラクターのチームメイト役などにも出演していました。

昔からお芝居をするのが好きな宮野さん、演じ始めたらストップの号令をかけるまで役になり切る姿はまさに役者の姿でした。

しかし、宮野さん曰く子役時代は全然売れなかったようで、周りの子と比べて劣等感をもっていたようです。

俳優として鼻開くことは難しかったもの紹介を受け海外ドラマ『私はケイトリン』のオーディションを受けたところ見事合格。

声優としてデビューし、次第に仕事量も増えていきその後は大人気声優になるほどの実力でファンを魅了しています。

宮野真守の子役時代に天才エンタメ少年爆誕秘話

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宮野真守さんは幼少期より”笑い”に対して貪欲な姿勢を見せていました。

宮野真守さんの現在のモットーは「Laugh&Peace」ですが、この言葉の出発点は子役時代の劣等感だったといいます。

ここでは宮野真守さんの人を”笑わす”エンターテイナーとしての才能についてみてみます。

子役時代の挫折と成長

実は宮野さんの子役時代は決して順風満帆ではありませんでした。「正直売れなかった、子役としては」と本人が振り返るように、オーディションに受からず、エキストラの仕事が多かったといいます。

当時の体験について「砂利道を裸足で走ったり、集合したのに仕事がなくて解散するとか、子供ながらにつらかった」と語っています。

周囲には子役として活躍する同期もいる中で、なかなかうまくいかない現実に「なんで自分はダメなんだろう」「辞めた方がいいのかな」といった劣等感を抱えていました。

しかし、この時期の経験が後の「人を笑わせたい」という強い思いの原点となったのです。

エンターテイナーとしての素質

子役時代から「昔からテレビっ子でしたね。お笑いが好きで」と語る宮野さん。

「人を笑わせることを常に考えている」「自分は寂しがりや」という発言もあり、志村けんさんのお笑い番組やドラゴンボールが大好きで、エンタメの世界に憧れを持ち続けていました。

特に志村けんさんが好きでよく、テレビやイベント、ライブなど各所でモノマネを披露し周囲の人を笑わせています。

2025年6月7・8日に行われたファンクラブイベントでは幼少期の写真を披露していました。

1歳の写真ではパンが口からはみ出している姿の写真が大画面に映し出され、会場のファンにエンターテイナーとしての原点を見せていました。

また、11歳の写真ではサッカークラブの赤いジャージを着て笑顔でカカシのようなポーズをとっている姿を見せ会場を沸かせていました。

サッカーは全然上手くなかったようで、万年ベンチを温めていたというエピソードをコントとして披露することが度々みられます。

ライブイベントでは幕間に本人が生コントに挑戦しわさび寿司を食べたり、ゲストを呼んでさまざまなネタを繰り広げる映像がみられ、宮野真守さんのライブの”醍醐味”となっています。

ファンの中には「コントをみにきた」と冗談を言う人も多くいます。

バラエティ番組への出演時は最初の頃こそ緊張して控えめな態度でしたが、その圧倒的な存在感は著名人をも凌ぐほどで共演者の記憶に残すほどです。

彼のパワフルな姿に驚く人もいましたが、撮影中にもお茶目なポーズをしてみせたり、冗談を言って周りを笑わせたりと人懐こい姿は子役時代から変わらないサービス精神旺盛な性格が伺えます。

現在の宮野真守の姿は、子役時代には売れなかった挫折経験が、「人を笑わせ、平和をもたらしたい」という現在の信念につながり、声優・俳優・歌手として多方面で活躍する宮野真守さんの原動力となっているのです。

そして今では、宮野さんが思い描いていた”歌って踊れて俳優も声優もできる『芸人』”(本業は声優)という”宮野真守”独自のジャンルを作り出し、私たちファンに”最高のエンターテイメント”を届けてくれます。

まとめ

今回は、宮野真守さんの

  • 宮野真守の子役時代
  • 宮野真守のエンターテイナーとしての才能

についてまとめてみました。

彼は7歳の時に先に入っていた兄の影響で『劇団ひまわり』に入団しました。

初仕事は小学校1年生の時に出演した西友のCM「西友大市」でしたが、子役時代には俳優としてあまり人気ができなかったと語る宮野さん。

当時はオーディションに受からずエキストラばかりをしていた、周りの子と比べて劣等感をもっていたようです。

オーディションの誘いで受けた『私はケイトリン』で声優デビューを飾り、程なくして才能を開花させました。

幼少期から”お笑い”が好きで特に志村けんさんのモノマネは各所で見られました。

ただ立っているだけでモデル並みにスタイルが良く、ダンスをするとその迫力と色気に圧倒され、歌声に元気や癒しをもらい、隙間にはすかさず笑いをとりにくる貪欲さは彼の魅力です。

2025年6月8日をもって35年いた『劇団ひまわり』を契約満了に伴い退所したことを劇団ひまわりが報告、今後は個人として活動をしていくのではないかと考えられます。

彼の子役時代はなかなか花開くものではありませんでしたが、その時の経験もあり今の宮野真守が存在しています。

これからも彼の活躍を期待して応援していきましょう。

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