【ナレーター】大山もも代の経歴まとめ!バイリンガルとして活躍したエピソードとは

大山もも代の経歴まとめ!バイリンガルとして活躍したエピソードとは(タイトル画像)

大山もも代さんはバイリンガルナレーターとして様々な分野で活躍しています。

今回は、

  • 大山もも代さんの簡単なプロフィール
  • 大山もも代さんの経歴
  • 大山もも代さんのバイリンガルエピソード
  • 大山もも代さんの幼少期にバイリンガルになった原点
  • 大山もも代さんの日常生活に溶け込む声

についてまとめます。

目次

大山もも代の経歴まとめ!

出典元:X

バイリンガルナレーターとして活躍する大山もも代さん。

彼女のこれまでの歩みには、国際的な体験や数々の挑戦が詰まっています。

ここではその経歴を詳しくご紹介します。

大山もも代の簡単なプロフィール

大山もも代さんは、1983年生まれの現在41歳

東京都出身で、ナレーターや翻訳家として多方面で活躍しています。

幼少期にはイタリアとカナダで過ごし、日本語と英語のバイリンガルとして育ちました。

大学は東京外国語大学で日本語を専攻

日本語の表現の深さに魅了され、その探究を重ねてきました。

現在は1歳の息子を育てる母でもあり、バイリンガル育児にも力を入れています。

TOEIC満点や英検1級など、数々の資格を保有する実力派です。

活動の軸はナレーション、英語教育、絵本の読み聞かせの3本。

多彩な分野で、独自のスタイルを築き上げています。

大山もも代の経歴は?

もも代さんの原点は東京で過ごした幼少期にあります。

毎晩読んでもらった絵本が、後に絵本愛へとつながりました。

小学卒業後は、父親の転勤でイタリアへ移住。

英語が全くできないままインターナショナルスクールに通い始めます。

しかし、家庭教師のニーナさんの指導により、英語力が急成長。

特に夏休みの1か月間、毎日5〜8時間の英語漬け生活が転機となりました。

高校は都立国際高校に進学

国際色豊かな学びの中で、世界への関心が高まりました。

映画で難民支援をしたいという夢を抱き、カナダの大学を目指します。

ところが、進学予定だったサイモンフレーザー大学に入れず、短大へ進学。

ホームステイ先でのトラブルや学業の壁に直面し、数か月で帰国を決意します。

この挫折を経て、日本語を深く学びたいという気持ちが芽生えました。

東京外国語大学日本語専攻に合格後は、日本語の奥深さに惹かれ、言語への情熱をさらに深めていきます。

卒業後は、声の仕事に興味を持ち、よこざわけい子声優・ナレータースクールへ。

2年間の養成を経て首席で卒業し、事務所所属ナレーターとして3年活動しました。

2012年には独立し、フリーランスとして活動の幅を広げています。

現在は、英語教室の講師として15年以上個別レッスンを続けています。

主な仕事の活動分野はCM、テレビ番組、企業VP、館内放送、音声ガイド、eラーニング、朗読、イベントMCなど多岐にわたっています。

下記の企業で企画に採用された経歴があります。

主な経歴
  • 法人・企業向けナレーションではJAMSTEC
  • Adobe
  • ミズノ
  • 旭化成
  • 日本電気
  • 昭和シェル石油
  • 日立製作所
  • リコー
  • IHI
  • 味の素
  • NTT   など多数CM

代表的なナレーション実績としては、かゆみ止め「ムヒ」CMサウンドロゴ、フジテレビ「ドッキリGP」、NHK「プレミアムシアター」、TBS「NEWS23」などが挙げられ、テレビでもお馴染みの声としても親れています。

ピピ助

テレビをつけたら、大山もも代さんの声がすぐに聞こえてくるっぴね。

大山もも代の経歴はバイリンガルとして活躍したエピソードとは

出典元:g-angle

ナレーターとしての活躍に加え、翻訳家や英語講師としても15年以上の経験も豊富です。

指導は赤ちゃんからシニアまで幅広く、個別レッスンを中心に行っており、ビジネス英語やキッズ英語など、幅広いニーズに応えています。

日本語と英語の両方に精通したバイリンガルならではの視点で、質の高いレッスンを届けています。

ここでは、彼女のバイリンガルエピソードや幼少期にバイリンガルになった原点、日常生活に溶け込んだ彼女の声についてまとめてみます。

バイリンガルエピソード

大山もも代さんは、日本語と英語のバイリンガルナレーターとして数多くの現場で活躍しています。

代表的なエピソードの一つが、フジテレビ「ドッキリGP」のクイズコーナーでのバイリンガルナレーションです。

ここでは、日本語と英語の両方で原稿を読み分ける必要があり、収録時には原稿に細かなメモを付けたり、トーンやリズムを両言語で揃える工夫をしていたと語っています。

バイリンガルナレーターとして起用される理由について、「日英で同じトーンで収録したい」「原稿内に日英が混在している」「日本語でディレクションが可能」など、クライアント側の多様なニーズに柔軟に応えている点も特徴です。

サンシャイン水族館や羽田エアポートガーデンなどの館内放送では、日本語と英語で同じ雰囲気・ニュアンスを伝えることが求められ、両言語で一貫したメッセージを届けるために、表現や発音に細心の注意を払っています。

幼少期の経験とバイリンガルの原点

幼少期をイタリアで過ごし、インターナショナルスクールで英語、外ではイタリア語、家庭では日本語という多言語環境で育ったことが、バイリンガルナレーターとしての基礎になっています。

この経験から、「日本語と英語の両方を活かせる仕事をしたい」と考えるようになったと振り返っています。

日常に溶け込むバイリンガル音声

銀行の端末やトイレのウォシュレット、コンビニのセルフレジなど、日常生活のさまざまな場所で彼女のバイリンガル音声が使われているというユニークなエピソードもあります。

ピピ助

いろいろなところで活躍されている大山もも代さん。
銀行の端末やコンビニのセルフレジにも使われてるっぴ?
彼女の声は僕たちの日常にも溶け込んでいるっぴ。

まとめ

今回は、

  • 大山もも代さんの簡単なプロフィール
  • 大山もも代さんの経歴
  • 大山もも代さんのバイリンガルエピソード
  • 大山もも代さんの幼少期にバイリンガルになった原点
  • 大山もも代さんの日常生活に溶け込む声

についてまとめてみました。

大山もも代さんは、幼少期に海外二カ国留学した経験があり、日本語と英語の両方を話せるようになったようです。

大学は東京外国語大学で日本語を専攻し、日本語の奥深さに魅了されていったようです。

現在では日女英語やビジネス英語を英語講師として個別レッスンを展開し、毎回予約が埋まるほどの人気ぶりのようです。

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