浪川大輔さんは幼少期から声優として活躍しており、現在では人気声優として数多くの作品に出演しています。
しかしその才能は、実は子供の頃からすでに発揮されていました。
今回は
- 浪川大輔さんの子役時代は神童のようにすごかったのか
- 浪川大輔さんのスティーブンスピルバーグも絶賛した演技力
についてまとめてみます。
浪川大輔の子役時代は神童だった!

彼は「天才子役」や「クリスタルボイスの神童」と呼ばれ、世界的な監督スティーブン・スピルバーグからも絶賛されるほどの実力を持っていたのです。
ここでは、そんな浪川大輔さんの伝説的な子役時代に迫ってみます。
浪川大輔の子役時代はすごかった

浪川大輔さんは1976年4月2日、東京都に生まれました。
そしてわずか9歳の時に声優としてデビューします。
最初の仕事は海外ドラマ『白バイ野郎 パンチ&ボビー』の吹き替えでした。
そこから彼の子役声優としての快進撃が始まります。
その後も『E.T.』『グーニーズ』『ネバーエンディング・ストーリー』『ターミネーター2』『アメリカ物語』と、誰もが知る名作映画の吹き替えを次々と担当。
当時の彼は、小学生ながらプロとしての力量を持ち、透き通るような声質から「クリスタルボイス」と呼ばれていました。
その存在感は子供とは思えないほどの完成度で、業界内でもすでに一目置かれる存在だったのです。
浪川大輔の子役時代にスピルバーグも絶賛した演技力とは?

浪川さんの子役時代を語るうえで外せないのが、映画『E.T.』での吹き替えエピソードです。
ここでは浪川さんのスティーブン・スピルバーグお墨付きの演技力についてまとめてみます。
浪川大輔のすごい演技力とは
当時、スティーブン・スピルバーグ監督は吹き替え版に対して否定的な姿勢を示していました。
「字幕で観られないなら、観る必要はない」という厳しい意見だったのです。
日本側は「子供にも楽しんでほしい」と、どうにか日本語吹き替えを実現しようと交渉。
その際、スピルバーグ監督が出した条件が「吹き替えをやる子役は自分が決める」というものでした。
そこで選ばれたのが、11歳の浪川大輔さん。
彼の声を収録したサンプル音声(ボイスマッチ)が監督に送られたところ、スピルバーグ監督はその声を聞いた瞬間に「この子ならいい」と即決したのです。
「このクリスタルボイスの持ち主が演じるなら、吹き替え版を作ってもいい」
という伝説的な言葉と共に、日本語吹き替え版が正式に許可されました。
浪川さんは、この大役を見事に演じ切ります。
『E.T.』の主人公・エリオット役として、宇宙人との心の交流を繊細に表現。
まだ12歳という年齢でありながら、キャラクターの内面に深く入り込み、セリフに感情を込めて演じるその姿は、まさに天性の才能そのものでした。
しかし一方で、この成功が彼の人生に影を落とすことになります。注目を集めすぎたことで、本人の望まぬ形で有名になってしまい、「目立ちたくなかった」「人と関わるのが苦手だった」と本人も語っています。
学校では「E.T.」というあだ名でからかわれ、忙しさから学校にも通えず、精神的なストレスを抱える日々に。
その結果、激太りし、仕事への意欲を失ってしまいます。
そのため最終的には15年以上も表舞台から離れることになりました。
それでも、あのスピルバーグ監督に「吹き替えを許す条件」として選ばれた浪川さんの演技は、今でも語り継がれるほどのクオリティを誇っていました。
浪川さんは高校や大学で学生生活を送っているうちに、就職活動の際に自分のスキルが声優業にあると気づきいたようです。
かつて仕事に対して不誠実な態度をとってしまったことを謝罪し、信頼を取り戻しながら現在も活躍を続けています。
その後は映画「ロミオ+ジュリエット」のレオナルド・ディカプリオの吹き替えオーディションに合格して声優業界に復帰。
後に『ルパン三世』の石川五ェ門や、『HUNTER×HUNTER』のヒソカなど、多くの名キャラクターを演じるに至った彼の礎は、まさにこの子役時代に培われた経験だったのです。
一回干されると、戻ることは不可能と言われていた時代、再び声優界へ戻ってこられたのは、彼自身の謙虚な姿勢や後人の良さ初対面でいじっても優しく受け止めてくれる懐の広さなどがあったからでは無いでしょうか。
彼はレジェンド声優「山寺宏一」さんと同じ芸歴を持っています。
しかし、彼自身「山寺さんと同じ芸歴」と言われることにとても引け目を感じており、「運が良かった」「タイミングがあった」と自分の実力ではないと謙遜する姿も度々見られます。
浪川大輔さんの子役時代は、まさに日本声優史の中でも語り継がれるべき伝説として、ファンの間だけではなく同業の人たちからも一目置かれています。
まとめ