中井貴一の父は事故死していた!戦後松竹を代表する二枚目スターが残した影響

中井貴一の父は事故死していた!戦後松竹を代表する二枚目スターが残した影響

中井貴一さんは、俳優や歌手、ナレーターとして活躍をしています。

現在も現役で活動しており、数多くのドラマや映画、舞台で主演を務めるほどの実力とカリスマ性を持っています。

そんな彼は幼い頃に父親を事故死した過去があります。

今回は、

  • 中井貴一の父の事故死の詳細
  • 中井貴一の父の事故死が与えた影響

についてまとめてみます。

目次

中井貴一の父は事故死していた!

中井貴一の父親は中井さんが幼い頃に事故で亡くなっていることが知られています。

父・佐田啓二はどのような事故で亡くなったのか

中井貴一の父親・佐田啓二さんは交通事故で亡くりました

出典元:X

中井さんが3歳になる誕生日の直前のことでした。

佐田さんは1964年8月17日朝、NHKドラマ『虹の設計』(放送開始4ヶ月目)の収録に向かう途中、山梨県韮崎市の塩川橋で運転手の居眠りによるスリップ事故が発生し、橋柱に激突

佐田さんは後部右席(最も安全な位置)に座っていましたが、右側からの衝撃で頭蓋底骨折と右腕骨折の重傷を負い、韮崎市立病院で同日午前11時過ぎに亡くなりました(37歳)。

当時、奥さんと子供2人の4人家族。

長女・貴恵さんは7歳、長男・貴一さんは2歳半で、父親の記憶がほとんど残らない年齢でした。

そして、佐田さんの死は家族をはじめ、仕事の関係者や世間にも大きな影響を与えました。

中井貴一の父の事故死で戦後松竹を代表する二枚目スターが残した影響

出典元:X

佐田啓二さんの突然の事故死は、家族だけでなく多くの人に影響を与えました。

ここでは、父の死が中井貴一さんと周囲に残した影響について見ていきます。

戦後松竹を代表する二枚目スターが残した影響

中井貴一の父親・佐田啓二さんの事故死は多くの人に影響を与えました。

特に家族に与えた影響は計り知れず、中井さんの母親・益子さんは、当時幼かった中井さんたち子供に対し、事故の詳細は語ってきませんでした。

突然の別れに実感が湧かない日々を過ごしたのではないでしょうか。

しかし益子さんは、決して居眠りをした運転手のせいにすることなく「交通事故だった」「そういう運命だった」と子供達にぼかして教えていたようです。

その真意について中井さんは「子どもに人を恨む気持ちを植えつけたくなかったからだと思う」と語っています。

貴一さん自身も「人が好きだから俳優をやっているのは母のおかげ」と振り返っており、母の価値観が対人観・仕事観に直結していることを明かしています。

また、家長としてのお父さんを亡くし、経済的にも苦しい生活を送ることになりました。

周りからは「大スターだから家族は生活に困らなかっただろう」と言われる反面、実際には貯蓄はほとんどなく、母親は保険金や貯蓄を切り崩して生活の足しにしていました。

幼少期にもらったお年玉は、「うちはあの封筒(親から子へ渡すお年玉袋)がないのに、どうやって食べているの?」

と不思議に思っていました。

母親・益子さんは「貯めた池の水を汲んでみんなで飲んでいるの。それは増えないから大事に飲まなきゃ」とたとえ話で子供達に説明していたことを明かしていました。

家の中では、「姉は女の子だから我慢しなくていい、男のお前は我慢しろ」と教えられ、「家長として我慢する男」であることを強く求められてきたようです。

また、父親の死を目の当たりにし、「父の死が自分の第一の転機」であり、「父は生きて教えるより、死をもって多くを教えた」と感じていると語っています。

そんな中、死を身近に感じる一方で、「死をネガティブに捉えるのではなく、生きていることの素晴らしさを実感する」感覚が強まったと語ることもあります。

母・益子さんは、父の代わりに非常に厳しく、時に「殴られた思い出しかない」と言うほどスパルタで礼儀や我慢を教えましたが、そこには一家の大黒柱を失った不安と覚悟がありました。

姉・貴惠さんとは、父の死後も家族で協力し合って生きる「戦友」のような関係で、姉は女の子として守られ、弟は次の大黒柱として育てられるという、役割の違いがはっきりしていました。

それは、母親・益子さんがシングルマザーとして家族を守るということと共に一人でも生きていけるように教育するという愛情そのものでした。

父親の事故死によって、当時収録途中だったNHKドラマ『虹の設計』は収録を中断し制作側は既存VTRを活用しストーリーを変更して継続しました。

映画業界では当時のトップスター高橋貞二さん、鶴田浩二さんと並ぶ存在ということもあり、会社に打撃を与えました。

佐田さんは『君の名は』『秋刀魚の味』などヒット作品に出演しており松竹のドル箱作品を支えていたほど大きな存在でした。

東京五輪直後の人気絶頂期の事故で新聞・メディアが大々的に報道、「若きスターの悲劇」として世間を震撼させました。

ファンからは「安全運転を呼びかけていたのに皮肉」「後部右席の習慣が仇となった」との声が相次ぎ、交通安全意識を高めるための「交通安全の教訓」として今も語られ、佐田さんの「品のある二枚目」イメージを永遠に残しました。

まとめ

この記事では「中井貴一の父は事故死していた!戦後松竹を代表する二枚目スターが残した影響」というタイトルで、

  • 中井貴一の父の事故死の詳細
  • 中井貴一の父の事故死が与えた影響

についてまとめてみました。

中井貴一さんの父・佐田啓二さんは、1964年に交通事故で亡くなりました。

当時まだ幼かった中井さんですが、母・益子さんの価値観のもとで育ち、人を恨まない姿勢や人を大切にする考え方が現在の俳優人生につながっています。

佐田さんの死は、家族だけでなく芸能界や世間にも大きな影響を残しました。

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